13歳でハローワークには行けないが
「月額5万、ボーナスは10万。家に入れなさい。当然です」
こう言われて、新卒の時からお給料を実家に入れて来た。
当時の家族は両親と私。姉は既に独立、というか一人暮らしを始めていた。
勿論、多大な疑問を抱えずにはいられなかったが「みんなこう」と言われて、それでも疑問を抱きつつ、それでも公務員家庭で姉もどちらかと言うと特殊な仕事であるので、私が技術職とはいえど「民間企業に入ったのだから当然なんだろう」と思って来た。
というか思わされてきたし、思ってなければやってられなかったからだ。
社会人になって(と言ってもアルバイトは13歳の時からやってきたが)最初のボーナスはきっかり10万円。取り決めにより全部実家のお財布に。
同僚の女の子が、新しい鞄を買っている様子を見て、腹が立って仕方なかった。
でも、ある色を想像して我慢する事に、いつの間にかなってた。
何かの写真で見た「パレスチナ・ブルー」なる青。パレスチナの空と大地を写したその写真は、絶望的だけどスコンと抜けた、明るい色なのに深くて、何か人を突き落としてしまうか吸い込んでしまいそうな深い青。
道をずっと全速力で走って、その果てに見るような青い色。報道写真にあるような。
それを思って「ああ、仕方ないんだ」と思うようにしていた。
そうして、いつの間にか「働く事の無意味さ」を感じるようになった。
途中で病気もして借金もしたので、日々働く事は、自分の人生は負の人生であるから「当然の償いを行う事」でしか既になかった。
「自分で稼いだお金なんだから、贅沢をしてもいい。好きなものを買ってみたら?」
配偶者にそう言われた時、どう解釈していいのか解らなかった。
仕事帰りとかに打ち合わせでも待ち合わせでもなく「新メニューを頼みたかったから」一人で入るコーヒーショップ。
「バーゲンを見ると欲しくなるの。欲しかったし」そう言って衝動買いしてもいい、夏物のサンダル。鞄、靴に服。マニキュアの新色。
本屋さんで思わず目が合った写真集。面白そうな本。
これらを手にして、普通に「ああ、欲しいな」(もしくは「やってみたいな」)と思う自由。実行する自由。
残念ながらそれが今までの人生になかった。
ゆえに可愛い格好をしている女性はなべて「違う世界の生き物」でしかなく、デパートの1階は「多分私はここのお客にはなれない」という「お店に拒絶されてるような感触」の集まりとしか感じられずにいた。
でも、取り敢えず今度のお給料は●万円は必要だけど、それを差し引いた金額は丸々使っていいそうで。
無理に家族に何か買うのでなく、自分の為に。
乗換駅の近くのデパートに行ってみた。
「いらっしゃいませ」「夏のセール開催中です」「新作が入りました」
今まで「自分に向けられたものではない」と思っていたものが、急に自分に向けられたような違和感。慣れない感触。
まずは「このお店のお客さんになってもいいんだ」から始める現実社会へのリハビリ。
「欲しいものを欲しいという」自分へのリハビリ。
事務所のA女史が言うように、まず一旦「何が欲しいのか」書き出して見る事から始めよう。場合によっては雑誌を切り抜いてもいいんだ、多分。
そんな事から始めないとダメになっているのも何だか悲しいけれど。